tukichikyuakai’s diary

発達障害児童、芸術関連のブログ

今日は無駄話

こんにちは。

昨日は、まるで中学男子か高校男子
かのように、
無駄にエネルギーを使いながら
海をめざして
自転車を走らせた私です。

え?やらない?
そんなこと、中高生も。


いやぁ、やるでしょう、やってほしいなぁ。


私は、中高生のころ
となりまちまで10キロぐらい走って
親戚の家に電話して
今からいくからって
5分して、やぁと顔だしてビックリさせる
というおバカなことを
やってましたよ。


標題、無駄話ですが。
個人的見解なので
けっこう隠れ蓑的に書いています。


発達障害の人は空気読めないって
よく聞くけれど、場合によりけりで、
単なるコミュニケーションの会話ではなく


私の感覚では、
読みすぎで過敏で感じまくり
すぎだからでしょ、という時もあるのでは?です。


まあ、タイプも色々だから、よ、
一概には言えんでしょも
あるんだが、よ。
なんだろうけど。


なぜ、そう思うのかというと、
例えば、
ひとつの空間に
発達障害児童が複数人
いて、
なにか問題行動か、爆発が
集団の
ある一部であったとする。


すると、ほんとは、他の発達ちゃんたちを
別の空間へ移動させたいのだが
できなかったとする


ついたてして
視界からとうざけるのがせいいっぱい
とする


でも、
空気感めっちゃ伝わるよね。
フツーに電波するよね。
ないことにはできない。
でも、気づかないように見て見ぬふり
感じないふり、定型で
したりはできるじゃないのかなぁ。


発達同士(当事者)の
勃発は、複雑すぎる気がして
なるべく分けたくなります。
(勃発事態を起きないように前もって)
(矢印が強烈すぎるので)


当事者じゃないとしても
彼らは、
感じすぎる。
目の前の強烈刺激から逃げたい。
なかったことにしたい。
シャットダウンする。


要するに
外界を閉じて
内へ向く。
自分に意識を超絶向かわせる。


で、ボーッとするか、
自傷にいったり、
自分の体に向かう、とか。

自分(肉体)
感覚は、強烈だから
外界を越えるためには
そりゃそうするのが手っ取り早いよね
と思うな、私感覚ですが。


だって、
痛みがあれば、(触覚)
外のことなんか構ってられないでしょ。


これって周り、外界に
我関せずに
みえるんだけど
必死の防御なんじゃないかなぁと
思ってて
なんで、こんな環境にしとくんだよぅ
ってせつなくなるんだよな。


発達ばかりのなかでなく
特性理解のある大人数のなかで
薄まってなんとなくいれるとか
なるべくひとりでいれるとか
そういうのが楽だったりもするのではないのかなぁ。


だから
環境って
めちゃくちゃ大事だな
と思うのであります。


まあ、
誰にとっても
そうだけどな。